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ソマリランドからアメリカを超える 辺境の学校で爆発する才能 -It takes a school

ソマリランドからアメリカを超える 辺境の学校で爆発する才能

ソマリランドからアメリカを超える 辺境の学校で爆発する才能

良書。タイトルと帯にある「辺境の遊牧民が数年でハーバードMITに進学!!」でネタバレじゃないー?と思ったけれど、物語の終わりがわかっていたとしても十分に楽しめるサクセスストーリー。原題のIt takes a schoolのほうがいい題だと思うけど。(「アメリカを超える」とあるけれど、アメリカの大学に入学したのでアメリカを超えたわけではないのでは?と思っちゃう。これは小声で)


発展途上国(失礼な言い方だ)での与えるだけの中途半端な支援は結局のところ余計なお世話なんじゃないか、と思うことがある。支援金の横領やらで政治の腐敗しかり、非支援者に“タダ”でもらうことを教える結果になったり。けれど、この物語は少数精鋭のエリートを育てる、と頂点に向かって突っ走る。生徒の圧倒的な才能と努力。10人にレベル1ずつ底上げするのではなく、1人をレベル10まで持っていくようなやり方。結果的にそのほうが全体をその社会全体を刺激するのかしら。結果がすべてのアメリカっぽいやり方だな、と思う。
曽野綾子さんの「貧困の光景」*1にあった、「私たちが前世代的な暮らしをしていると思っている人は実は私たちの認知を超えた大切なことを自然から学んでいるのかもしれない。(うろ覚えで、正確な引用じゃないです。)が真実だとしたら、教育支援をすればするほど地球から一つの価値観がなくなっていくことになるな、とも思う。もちろん、教育の大切さや得るものの大きさは分かっているんですが。そういう非近代的な生活を営んでいる人が何を考えているか、私の知らない生き方があるんじゃないかと懐疑的な気持ちでいっぱいなので、「アフリカの白い呪術*2」「ピダハン*3」「アフリカの日々*4」「グラミンフォンという奇跡*5」あたりを読んだのだけれど、私の常識とあまりにかけ離れてとても面白い。私には自然に近い人たちの人生への諦観のようなものに憧れがあるのかも。

ソマリランドの学校の話に戻るけれど、卒業生たちには卒業後も幸せに暮らしてほしいな、と思う。途上国から先進国に奨学金留学して、自国に帰らない決断をするひとは大勢いるようだし、(アバルソはソマリランドに戻って働くことが条件ですが。)ソマリランド以外の世界を見たことで、自分のいた環境のいやな面に気付いて、失望するなんてことがありませんように。インドから仕事で日本に来て暮らした驚きをつづる「喪失の国、日本*6」は留学した学生さんのような,日本に派遣されたインド人の立場から書かれた本で、日本の日常を別の価値観から見せてくれるいい本なんだけれど、アバルソの学生さんもこういうの書いてくれないかなあ。アバルソのその後の話も是非知りたい。
結局この文章で言いたいことは、「あーアフリカ行きたい!」であるな。

*1:

貧困の光景 (新潮文庫)

貧困の光景 (新潮文庫)

*2:

アフリカの白い呪術師 (河出文庫)

アフリカの白い呪術師 (河出文庫)

*3:

ピダハン―― 「言語本能」を超える文化と世界観

ピダハン―― 「言語本能」を超える文化と世界観

*4:

アフリカの日々 (ディネーセン・コレクション 1)

アフリカの日々 (ディネーセン・コレクション 1)

*5:

グラミンフォンという奇跡 「つながり」から始まるグローバル経済の大転換 [DIPシリーズ]

グラミンフォンという奇跡 「つながり」から始まるグローバル経済の大転換 [DIPシリーズ]

*6:

喪失の国、日本―インド・エリートビジネスマンの「日本体験記」 (文春文庫)

喪失の国、日本―インド・エリートビジネスマンの「日本体験記」 (文春文庫)